スズキ技研の足跡

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鈴木工作所の設立

昭和8年11月1日、藤倉電線株式会社の支援を受け、深川古石場に一軒の工作所が設立されました。

後に株式会社スズキ技研となる、鈴木工作所の誕生です。


当時の日本は通信技術の分野において諸外国に遅れをとっていましたが、市街伝送路における無装荷ケーブル方式の開発と実用化を成し遂げたことから、通信技術分野が大きく開展。

特にケーブル関連技術は、電線の付属品や主に電力部分の製造・納入を行っていた鈴木工作所にとっても、大きな発展の契機となりました。


戦中・戦後まもなくは時代の変化に応じてさまざまな品物の製造販売を行い、昭和20年10月にはついに江東区牡丹町に鈴木工作所初の社屋を設営するに至ります。

鈴木工作所

鈴木工作所
江東区牡丹町本社・工場事務所入口

ケーブルガス保守物品メーカーへ

昭和21年には戦災で荒廃したインフラの整備が始まり、鈴木工作所も藤倉電線株式会社の下請けとして、逓信省の電話線整備事業に関わっていくこととなります。


当時の電気通信設備は、ケーブルの老朽化や戦時規格のため、故障率が非常に高いという問題点がありました。安定化策の一環として、GHQがケーブルのガス封入による保守方式の導入を勧告。

アメリカの電信電話会社の資料を入手した藤倉電線株式会社が、ガス保守関連技術について調査研究に乗り出します。


鈴木工作所もこれに協力する形で、実験に必要な材料・工具・部品類などの試作と提供にあたりました。

その際ケーブルへのガス封入のために、窒素ガスボンベおよびバルブや接手類を開発。昭和22年から計画実行に移された既設市外ケーブルのガス化をはじめ、以降のガス方式の実用化に貢献したのです。



こういった工法実験に対する協力などが認められ、昭和24年には逓信省の指定業者に認定されるなど、製造会社としての体制を整えていきました。

株式会社鈴木工作所の誕生

昭和28年、鈴木工作所を設立した鈴木寛一以下7名が発起人となり、株式会社鈴木工作所が誕生。社員25名でのスタートです。

鈴木工作所

創業者 鈴木寛一

鈴木工作所はダイフロン(D)ガスによる漏洩検出装置や、無線用空気乾燥供給装置、無線用小型空気乾燥装置(デハイドレータ)の開発などを行い、電気通信事業の発展に大きく寄与しました。


昭和38年、現在も日本全国の無線中継所で稼働し、今なお我々の生活に欠かせない、乾燥剤加熱再生方式によるホーンレフレクタ用空気乾燥装置(IA-61形)が実用化。翌年には小型乾燥空気供給装置と、ガス分配装置が日本電信電話公社で本仕化されるにあたり、製造が追いつかず納期遅延の大きな問題が生じたことも。

この問題を解決するため、藤倉電線株式会社に人的応援を要請。昭和39年、同社の資本参加が決定し、以降鈴木工作所は藤倉電線株式会社から役員を迎え入れることとなります。

その後、日本電信電話公社への納入が順調に進むにあたり本社工場が手狭となったため、現在本社がある千葉県市川市田尻に移転することが決定しました。

当時は京葉道路市川インターチェンジや東京メトロ東西線は開通していませんでしたが、深川本社に近いことと将来の便利さを考慮しての決断です。

鈴木工作所

建設中の鈴木工作所 市川工場
(現在の第一工場)

昭和49年、創立以来代表取締役社長を務めていた鈴木寛一が、代表取締役会長に就任。会長職にありながらも作業着で現場に出て自ら作業し、平成3年6月に永眠するまで、管理監督を続ける姿が見られたのでした。

鈴木工作所からスズキ技研へ

日本電信電話公社へ冷凍方式乾燥空気供給装置の納入などを行ってきた鈴木工作所ですが、昭和47年からは日本国有鉄道や私鉄へのガス施設物品の納入が始まりました。

その後日本だけでなく、韓国やアルゼンチンにも鈴木工作所の製品が納入されることとなります。

また精密ガス圧調整機能の乾燥空気供給装置を、国立天文台野辺山宇宙電波観測所に納入するなど、さまざまな分野において鈴木工作所の製品が使用されるようになりました。


昭和54年には、2号圧力発信器の採用が日本電信電話公社で決まり、翌年からの受注増に備えて工場の増設することが決定します。

鈴木工作所

昭和55年に完成した第二工場

昭和の終わりごろ、世間では社名変更とシンボルマークを変更する企業が相次ぎました。

鈴木工作所もICを使用した製品が増えてきたことに加え、光関連製品の切り替え時期にあったことから、昭和63年に社名を変更。

従業員から新社名を募集した結果、鈴木の名を残した「スズキ技研」が採用されたのです。

鈴木工作所

現在も使用されている社章はSの字を図案化したもので、下の濃い藍色がハードを、上の薄い藍色はソフトを表現。

その両方が結合することにより、ハード・ソフトいずれの仕事も引き受けるとの精神を表しています。

光関連製品の製造開始

前述のように昭和50年から62年にかけて、ガス製品の売り上げを順調に伸ばし続けましたが、ガス圧遠隔測定システム対応の圧力発信器などを除いたガス関連の大きな開発は終了し、速度測定器や水位検知機など別分野への取り組みを始めることとなります。


昭和の末、日本で初めて光ファイバケーブルが実用化され、NTTによりガス方式に代わる光ケーブルの保守方法の検討が進められました。

このころ光線路切り替え試験システム(FITAS)と、光線路保守支援システム(AURORA)が開発されます。これらのシステム実用化にあたっては、メタル線路保守装置で実績のあるスズキ技研などが製造、販売を担当することになったのです。


激動の昭和が終わりを告げ、元号が平成に改まったその年の暮れ、スズキ技研はFITAS-1号機をNTTに納入しました。これを機に、光製品用の第三工場を建設。

以降、光製品の製造が開始されることとなります。

鈴木工作所

第三工場
奥に見えるのが第一・第二工場

インターネットの発展に伴い、IP網の構築とアクセス系の高速化が進んだ昨今、より高速なインターネット接続サービスが導入され、加入数は増加の一途を辿っています。超広域帯サービスの実現に向け、より高性能で信頼性の高い光ファイバアクセスネットワークの構築は、必要不可欠であると言わざるを得ません。

そのインフラを担うAURORAなどの光保守・管理支援システムも、より重要な役割を演ずると共に、システムの供給に向けスズキ技研もたゆまぬ努力を続けてまいる所存です。

株式会社スズキ技研 Suzuki Giken Co.,Ltd.

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