昭和28年、鈴木工作所を設立した鈴木寛一以下7名が発起人となり、株式会社鈴木工作所が誕生。社員25名でのスタートです。
鈴木工作所はダイフロン(D)ガスによる漏洩検出装置や、無線用空気乾燥供給装置、無線用小型空気乾燥装置(デハイドレータ)の開発などを行い、電気通信事業の発展に大きく寄与しました。
昭和38年、現在も日本全国の無線中継所で稼働し、今なお我々の生活に欠かせない、乾燥剤加熱再生方式によるホーンレフレクタ用空気乾燥装置(IA-61形)が実用化。翌年には小型乾燥空気供給装置と、ガス分配装置が日本電信電話公社で本仕化されるにあたり、製造が追いつかず納期遅延の大きな問題が生じたことも。
この問題を解決するため、藤倉電線株式会社に人的応援を要請。昭和39年、同社の資本参加が決定し、以降鈴木工作所は藤倉電線株式会社から役員を迎え入れることとなります。
その後、日本電信電話公社への納入が順調に進むにあたり本社工場が手狭となったため、現在本社がある千葉県市川市田尻に移転することが決定しました。
当時は京葉道路市川インターチェンジや東京メトロ東西線は開通していませんでしたが、深川本社に近いことと将来の便利さを考慮しての決断です。
昭和49年、創立以来代表取締役社長を務めていた鈴木寛一が、代表取締役会長に就任。会長職にありながらも作業着で現場に出て自ら作業し、平成3年6月に永眠するまで、管理監督を続ける姿が見られたのでした。